私の歓楽 -日日宴安-

朝には希望を抱き、昼には戦い、夜には歓楽に耽る。

2017ねんしちがつ

暇つぶしに少し聞いてくれないか。

自分が魚人族の末裔で、 他の家族は一応、普通の人間っぽい見た目なのに なんか自分だけ、遺伝子の悪戯か、分かりやすく魚人でね。
人魚みたいに綺麗な魚人なら良かったんだけれど、 自分の場合は頭部だけ魚っていうね。
それが原因で、理不尽に虐げられる人生…魚生? (今思うと理不尽というか、魚の顔した奴がポツンと人間に混ざって生活していたらそらイジメられますわって感じだけど)
同じ魚人族の親戚や、家族でさえ気味悪がって、母はとうとう、自分を一度も抱いてくれなかった。
ただ一人、年の離れた弟だけが、自分を慕ってくれた。
天使のような顔をしていて、自分とは対照的に誰からも可愛がられる弟に、嫉妬を覚えた事もあったけれど… 自分を存在しないものと扱う家族の中で、弟だけが唯一、心の支えだった。
それでも自分は挫けず、頑張って生きたんだ。 水泳では誰にも、人間にはもちろん、魚人族の中でも、誰にも負けなかった。
競泳賭博ってのがあって、そこでは自分はスターだった。
自分がぶっちぎりで勝つのを、観衆はいつも「女神の微笑み」と言って喜んでた。まあ、自分は実際には微笑めないんだけど。魚だから。
スターだったけど、そんな世界に一生を捧げる気は無かった。 普通に人間として穏やかに生活をして、いつか恋愛もしてみたい、結婚をして、子供を産みたかった。
そんなある日、違法で異端な手術をしてくれる闇医者の存在を聞いた。
謝礼も法外に高額だったけれど、その頃にはかなりの貯金があった。 闇医者の門を叩き、人間っぽい顔に作り替えてもらったのさ。
とても長い時間がかかった。 麻酔が切れて目が覚めた時の、不思議な感覚… まぶたがあって、目を開く必要があったんだから!
自分は生まれ変わったんだって、すぐに分かった。 鏡を見せられた時の衝撃…。
あぁっ、なんて素敵な顔なんだろう!なんて素敵な微笑み! その日は1日じゅう、鏡を見て過ごしたね。
これが本当に自分の顔なんだろうかって、ずっとぺたぺた顔を触って、確かめずにいられなかったよ。
人間の顔に生まれ変わった自分に、誰もが優しかった。 お店で「ありがとうございました」なんて笑いかけてもらえる日が来るなんて。
競泳賭博からも足を洗って、アパートを借りて、慎ましく暮らした。
だけど、その平穏な日々も長くは続かない。
弟が難病に罹ったという報せがあった。 移植が必要だけど、魚人族は魚人族同士でしか移植は出来ない。
魚人族で同じ年頃の臓器なんて、まず手に入らない。状況は絶望的。
闇医者なら何とかしてくれるかもしれない、と思った。 競泳賭博にいた頃の後輩を呼び出した。
同じ魚人族で、まだ幼さが残っていた。 最初は誰か気付いてもらえなかったけれど、事情を話し、弟の話をすると同情してくれた。
だから殺して、闇医者のところへ持って行った。
これで弟も手術を受けられる。 どうか弟を救ってください、弟をよろしくお願いします。
でも魚人の死体を海へ捨てたのはまずかった。 すぐに足がついた。(ヒレがついた?)
殺した子の父親、まるでクジラのような巨漢が、自分を血眼になって探しているらしい。
どこか遠くへ逃げなければ。
普通の人間のような暮らしは、結局ほとんど出来なかったなあ。
弟は無事に手術を受けられただろうか。ちゃんと成功したかな?
最後に顔を見たかった。抱きしめたかったな。

…というところで、号泣して目が覚めたんだ。
なんつー夢だ。なんで魚人なんだよ。思わずすぐに鏡を見に行ったよ。
泣いている私を心配する連れ合いに説明がしづらかったよ。
起きてから振り返ると、すっごい荒唐無稽な内容なんだけど… 夢の中では、大真面目ですよ。
あの男の子は無事に手術を受けられたのでしょうか。それだけが気懸りです。
昨日、献血ルーム見学ツアーで、 小児がんの男の子のドキュメンタリーを見たので その影響で、難病の男の子とか、移植とか手術とか、こんな夢を見たのだろうか。
それにしても魚人どこから来た? 謎である。 

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沢山のご参加ありがとうございました!
私もそろそろ献血出来ないかな?(貧血体質や、妊娠や授乳で、未だに出来たことがない。)

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エッセイの中で、物書きを志す若者に向けて、「文章の書き方」について綴っている章があって、とても印象深かった。
まず「どんな風に書くか」というスタイルが必要だけれども、若いうちから自分にふさわしいスタイルを発見するのは難しいので、どこかから既成のスタイルを借りてきて、適当にしのぎながら、あとはとにかく生きるしかない…どんな風に書くかというのは、どんな風に生きるかというのとだいたい同じだ。
音楽も、最初は模倣から入っていくのが望ましい練習方法だというのは聞いた事がある。
ギターとかだって、いきなりオリジナル曲じゃなくて、まずは好きなバンドのコピーって、やるでしょ。
プロ志向の人はさらに踏み込んで、曲のコピーだけでなくて、歌い手なら歌い方…単語の発音から息遣いまで、楽器隊ならプレーヤーの演奏の細かい癖の一つ一つを、完コピする。それを10通り、やるわけである。
基礎も基盤もなっていない状態で自分のスタイル〜なんて言ってみても、客観的に見ればただのジャイアン、という事がある。
無理にオリジナリティを出そうとしても消耗するだけなので、自分のスタイルが確立されるまでは、どこかから既成のスタイルを拝借してくる。
そうやってしのぎながら、とにかく生きて、生きて生きて、生きまくって、揺るぎない自分というものが出来た頃には、オリジナリティをわざとらしく押し出さなくても、自然と自分のスタイルが演奏にも滲み出てくる、というわけである。
ちなみに私は、その練習方法を知ったのがつい最近だったので、まだまだ進んでないんだけれども。
もっと若い頃に知っておけばなあ、と思うこの頃でした。

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あるいは存在として捉えるかはあくまで形而上的な問題であって、それでドーナツの味が少しなりとも変わるわけではないのだ。

村上春樹の作品には、いくつかの食べ物が決まって出てきます。そのうちの一つが、ドーナツ。
他によく出てくるのはサンドイッチとか、あとは何と言ってもスパゲティー。主人公がスパゲティーを茹でると電話が掛かってきたりしてね。
それはともかく、「羊男のクリスマス」を読んでいて、すっかりドーナツが食べたくなってしまい、久々に某ドーナツショップへ行きました。
ドーナツって、平和な形だよねと思いながら、穏やかな午後のひとときでした。


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村上春樹のエッセイ集、「村上朝日堂」シリーズを出してきて、再読している今日この頃です。
村上春樹は、申し訳ないけれど、本当に申し訳ないのだけれど、小説よりもエッセイの方が断然、面白い。
引越し遍歴、耳の中の切符、とりあえずの豆腐の色っぽさ、名もないスパゲティー、食堂車でビーフ・カツレツを食べるロンメル将軍、ダッフルコートが好きで、体重計の面白さにハマってしまう村上春樹氏…。
エッセイでは、小説よりも幾分か気の抜けた感じ、素朴で、独特なユーモアのある文体になるので、とても読んでいて楽しい。 安西水丸さんのゆる〜い雰囲気の挿絵も、かなり助力していそうですが。
ところで、エッセイに書かれている、大阪の「メンデルの法則」、神戸の「ゴリラの花束」、京都の「と、いうわけで」というラブホテルらは、今も変わらずあるのだろうか。近所なので、探しに行ってみたい気がする。「メンデルの法則」あたり利用してみたい。
確かに、ラブホテルの名前って、一風変わったものが多いんだよなあ。 ラブホテルって、未だに利用した事がないんだけど。
こんな風な、くっだらない、しょーもないテーマを、村上春樹の洒落た文体で大真面目に書かれると、脱力感と、何故か安堵感に包まれて、お気楽になれます。

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