私の歓楽 -日日宴安-

朝には希望を抱き、昼には戦い、夜には歓楽に耽る。

2016ねんじゅうにがつ

 書店で平積みされているのが目に留まったので、購入してみた。
 昔から、神社を熱心に参拝していない天下人はいない、といいます。大成した者は皆、熱心に神社を参拝している。
 神社の特別さを理解している人は、神様のバックアップを得る。神様も「ひいき」するのである。
 神社には、成功と幸福を実現する何かがある、それを裏付けるようなデータが、統計でも出ているというから、この科学の時代に!などと侮れない。
 『神社には、「意思のある知的生命体」がいる』…この本はそんな内容から始まる。
 たとえば参道の真ん中を吹き抜ける風、たとえば境内で感じる清々しさ…それはいわば「知的な空気」、意思と目的を持った透明な存在。
 神様と交流するには、ゆとりを持つ事が肝要である。何せ「空気」ですから、入り込む隙間が必要、というわけ。
それには悩みや我欲など雑念で、いっぱいいっぱいではいけない。
 神様に、自分の望みを聞いてもらうばかりではいけない、神様の頼みに、耳を傾ける余裕がなければならない。
 神様は、人を通して、世に干渉する。その人の力になるであろう誰かとの縁を結ぶという形で、願いに応える。

 神様の「あそこへ行って、この人に会ってくれ」という頼みごとを、受け入れる余裕を心に持つ人が、どんどん人と繋がる事が出来る、という事らしい。
 明日からの初詣で、早速意識してみようと思う。


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 自分は一応、しめ飾りと鏡餅は用意しました。年末の大掃除は、少し手抜きだが、許してもらおう。
 今年の年末年始は、連れ合いの実家で過ごす。
 大勢の家族で一緒に正月を迎えるのは人生で初めてなので、楽しみである。
 
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 何食べたい?と聞かれるのが、好きだった。
 今は、何食べたい?と毎日、聞く側になりました。

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 最近、褒めの会話術が、巷で流行っているらしいじゃないですか。
 子供を伸ばす褒め方だとか、男性が喜ぶ褒め言葉だとか、女性をその気にさせる褒めテクニックだとか、そういう褒め上手になろう!みたいな見出しの特集やコラムを、よく目にする。
 自分は捻くれているので、言葉を尽くして褒められれば褒められるほど、「お、褒めの技術を使ってきたか?」と思ってしまう。
 しかしやはり、褒められないよりは、褒められたい。
 褒めのさしすせそだとか、そういう計算ずくの褒め言葉は嫌である。
 だからこそ今は、良いね、ただその一言が欲しい。

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 もう一度味わってみたいのは、出産直後の瞬間である。
 わざわざ巻き戻さなくても、もう一人か二人産めば、また味わえるだろうか?いやいや、やはり初産だからこそ、じゃないだろうか。
 あの奇妙な感覚、あの不思議な心地。
 生きている意味を、女だけが、知る事が出来る。
 こんな世の中なら生まれてこなくても良かったのに、と思った事もあったし、男に生まれてりゃあな、と思う事も多かったけれど、この世に生まれてきて良かった、女に生まれて良かった、と心から感じた瞬間であった。
 凄まじい痛みと苦しみだった筈なのに、今ではもうケロッとして、もう一人か二人…などと考えているのも、我ながら…女という生き物は恐ろしいなと思う。


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